さきゅうでいろいろかんがへる
先月から何故か橋本治漬けになっているので、何故、今、橋本治か?をムイネーの紅い砂丘で考えるのもひとつのテーマだったのですが。「源氏供養」を読み終え、カルヴィーノ「冬の夜一人の旅人が」を百ページ読み直して止まってしまう。
砂丘には雨が上がるのを待ち、夕暮れ近くに到着になるため、途中の車内で間に合うかどうかばかり考えていましたし。わかったのはリゾートには純粋な古典は不向きで、古典の解説はさらに不向きである事実。
柴田錬三郎賞に「蝶のゆくえ」が決まり、先月の過剰なのめり込みもその予兆だったのかも。敬愛する作家が評価されるのは嬉しい限りです。多くの読者に歓迎されますように。
ベトナムで考えられなかった償いに部屋の段ボールに押し込まれた「源氏」を読む。氏の衰えない執筆意欲の一端でもうかがい知ることが出来たら。見習うべきことは多く、何故何故なんて考える時間も惜しく。宿題は砂丘に置き去りのまま。
- 柴田 錬三郎
- 英雄三国志〈1〉義軍立つ