「ずっと」と「永遠」の間 | 青パパの無限増殖ver.187

「ずっと」と「永遠」の間

「人間、本当に嫌な場所にずっといたりはしない。」
                    矢作俊彦「ららら科學の子」
「三年」が「ずっと」と比較して長いかどうか解釈は異なるでしょう。サイゴンに着いて最初に抱いた疑問は「何故ここに三年もいたのか?」。私にとって「三年」は「ずっと」永遠に近い時間に感じられたにしろ。日本に帰国してからの時間は既にその「ずっと」を越えている。
タン・ソン・ニャット空港からオムニ・サイゴンの前を通り、三区を過ぎ、ナムキ・コイ・ギアを直進…この辺りに来ると隣のMちゃんにサイゴン大教会、ダイアモンドプラザの場所を説明している自分がいる。疑問が孕む陰と背反する快活さを伴って。
「ららら科學の子」の主人公は全共闘運動が激しさを増した頃、殺人未遂事件を起こし、中国へ渡ったものの、文革の煽りを農村で暮らす。30年の時を経て、蛇頭に身を委ね再び、日本の地を踏む…
2年ぶりのサイゴンは変貌を遂げたようには見受けられず、つかず離れずの友人諸氏も温かく迎えてくれる。不遜な疑問を抱いたことさえ気恥ずかしく感じられ。「ずっと」は「永遠」との時間的容積の比較ではなく、「反復」される惰性への恐れ?
幼なじみとも歳の離れた妹とも電話でしか言葉を交わせない。その見えない距離の切なさに惹かれて読み直す自分は驕っている。自戒…
矢作 俊彦
THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ