半球を繋ぐ指先には夢の滴 | 青パパの無限増殖ver.187

半球を繋ぐ指先には夢の滴

サイゴン初日の晩、夢にまで現れたS君の話は現地でもすんなり受け入れられ。携帯電話一本で、ささやかな願望は叶えられる。その前日に飲んだ友人にする話としてはロマンチックが欠落しています。改めて「義兄弟」の契りを交わしたような気恥ずかしさを含みつつ。そのほのかな羞恥は互いに不義理にしていた気まずさから来たのかも。
慢性的に眠りが浅く朝方にはスライドのような刹那的な夢を見る私は「夢の力」をあまり信じていません。そのときの自分の精神状態を冷静に分析して、自分が「寂しい」とか「切ない」とか「疲れてる」状態にあることを把握する。夢の話をしたのは場の座興的な意味合い?
帰ってからサイゴンの夢を見ることはなく、「望郷」の念はしばらく記憶の箪笥の引き出しにしまわれているようで。相変わらず「日常」の夢の分析を自己憐みんを拒んで続ける日々。
一抹の淋しさを示すことなく、縮小しつつある世界に呼応するように盲目的な距離を信じてみる。それは確信めいたもので繰り返される日常に立ち止まるひと時、同じ空を見上げている異邦の友人を想う。流れる雲に面影を探せば、心に圧しかかる重みもしばし軽くなる。

絲山 秋子
イッツ・オンリー・トーク