揺るぎない明晰さと | 青パパの無限増殖ver.187

揺るぎない明晰さと

バンコクを再訪しているSちゃんの旅のお供は三島由紀夫「春の雪」。世紀を越えて読み継がれる理由は、甘ったるく表層的な懐古主義ではなく、喪われつつある哲学と美意識に裏打ちされた精神の希求にあるはず。形骸化した内面を補填すべく三島由紀夫を触媒にする私たちは、自らを触媒にして内面と世界へ対峙した氏の強靭な精神と肉体をもちえない。幸か不幸か完璧を欲しない故に。
先の朝日新聞の書評で高橋源一郎がノーベル賞作家大江健三郎を「大顰蹙」と称していて。中学・高校までは氏の作品を愛読していたので、「大顰蹙」の説明は頷ける、悲しいかな。新作を遅れて読むたび、自家撞着の檻から抜け出ない閉塞を嗅ぎ、軽い失望に襲われる。生者と死者の立場が逆転し、あたかも「死父」が顕現したかのような。
名誉と殊勲だけでは読み継がれない悲劇が無言のうちに語られて。

三島 由紀夫, 古林 尚
三島由紀夫最後の言葉