青パパの無限増殖ver.187 -7ページ目

めったにしない、をする。(20日)

バカンスらしく?早く目覚め、ホテルで朝食。二人はオムレツがお気に入りのよう。ビュッフェは飽きる。10時半にオーナーのお姉さんが迎えに来、サイゴンから二百キロのリゾート、ムイネーへ。
お勧めのホテルはアルキスト、オーナーのお姉さんとも同じ、現地で直接交渉することに。昨晩の話から判断するにネットより安くなりそうな気配。最後は人力。
ビェン・ホアで買い物をした後、一路国道を北上。市街を抜けると、新緑の田園風景が。路傍には反芻しつつ、尻尾を揺らす水牛。人影は驚くほど疎ら。
大学時代の北海道旅行を連想させる直線道路、左右に続く地平線。限りなく眠りを誘う単調さ。。
後部座席の二人もファンティエットが近づくと目を覚まし、おしゃべりが始まる。これが三人の独特のリズムを生み、長続きする関係のベースとなっている、はず。
観光特区のムイネーに入ると右手の海岸沿いに軒を連ねるリゾート。壮観と言おうか異様と言おうか。お勧めのホテルで交渉、二人が納得しやっと一息。和風のテイストが漂うバンガローのベッドに横たわり、車内で凝り固まった身体を休める。プールサイドをほとんど西洋人が占め、Sちゃんはファランを連発。
皆さん、タイから流れてるんじゃない?
歩いてすぐのイタリア料理店で早目の夕食。何品か頼むとテーブルいっぱいに、例の如く日本の延長戦的おしゃべり。国は変われど内容に大差なく、平和そのもの。3時間ほどいて、珍しくデザートまで。
部屋に戻り、水着に着替え、ライティングされたプールへ。静謐をたたえた水面を揺らがせ、泳ぐ影。雷鳴が遠くより響いてのち、水紋がプールを覆い尽くす。浮き上がりそうな光に照らされて灰色の雲を見遣る。
本降りになる前にバンガローへ避難。両足の踵がはみ出しそうなエクストラベッドで就寝。
橋本 治
窯変 源氏物語〈5〉

非凡なる再会(19日後半)

カラベルへ戻る道すがら明日からのムイネー行きの話し合い。普段と変わりない時間の追われ方かも。流れる時間は目に見えて緩やかにしろ。
チェックインを済ませ、6時の待ち合わせに間に合うようブイ・ヴィエンに。午前中はSカフェでぼんやり人通りの少ないデ・タムを眺めていたというのに。バイクの量が増えたそこは喧騒と排気ガスにまみれたカオス。
旅行会社を営むSさん、アルキストと真?の再会。近所のレストランで宴。夢にまで現れたS君は仕事帰りに。このメンバーで飲むのは片手では足りない遥か昔…Sちゃん、Mちゃんがいるので華やいだ雰囲気。
昨晩の日常非日常の境界線の曖昧さに罰の悪さを感じつつ、邂逅の素晴らしさに感嘆する。酔いは高揚した気分に追いつけないままグラスの縁をさ迷う。
それは二軒目のシャドーに行っても変わらず、顔なじみの女の子と言葉を交わし、オーナーと握手すると、瞼の奥から鮮明な記憶が。再び同じ疑問いや愚問。
バー・サイゴン・サイゴンでは日本の延長戦を思わせる恋愛小説談議。今までの余韻にうまく浸れないまま、夜は更け行く…
橋本 治
窯変 源氏物語〈4〉

夢の果てまでも(19日前半)

奇妙な夢で目が覚める。かつて毎晩のように飲んでいたS君を探してサイゴン市内を散策し、彼の友人達に消息を尋ねるものの、ことごとく撥ねつけられ。揚げ句に、「中国に行って、逃亡記を書いている」、ああ、なんて残酷な現実…
Mちゃんに夢の話をすると当然笑われる。S君とはバンコクで一緒に飲んでるから知らない仲ではないのだが。
朝食後、デ・タムでメールチェックしに行き、とんぼ返りでホテル。プールで身体を濡らす。プールサイドでは外国人のモデルとベトナム人のビデオクルーが撮影の打ち合わせ中。友人に会わないうちから感傷的。郷愁が肌に浸透しているのか。
部屋に戻り、電話をいくつか。ルームキーを見失い散々捜してやっと見つける。決まった場所に置かないとすぐ忘れる悪い癖が露呈。
徒歩5分のパークハイアットで昼食。エコロジーとエスニックが融合したゆったりした空間。行き届いたサービスにMちゃんは手放しで賞賛。2時の約束に遅れそうなので一人先にホテルへ。予想通り間に合わず、再度連絡。海外に来てまで携帯電話?と言いたいところだが、なまじっか知り尽くした街だけに不便さがもたげる。
オーナーのお姉さんと合流してSちゃんを迎えに空港へ。カンボジアへ拉致されることなく再会?を果たす。

橋本 治
窯変 源氏物語〈3〉

「日常」を飛び越えて、「非日常」(18日)

二年ぶりのサイゴン行きは見慣れたオレンジのスーツケースを運ぶことより始まる。今回はオーナーの娘さんの荷物も。タクシーを呼んで駅へ向かう道中、日立の人?と尋ねられ、返答に窮する…
横須賀線に駆け込み、成田空港へ。養護学校の遠足にぶつかり、市川まで立ちっぱなし。普段の仕事に比べれば楽?
かなり前に着いたMちゃんと合流。チェックインして中華料理店で遅い昼食。周りは何故か中国人、タイ人ばかり。去年はフィリピン人が多いスペースだったような。
免税店でお土産の煙草を購入。ここでも見渡す限り中国人だらけ。数年前のバンコクのドンムアン空港で見た光景が蘇る。
遅れもなく、無事、機上の人となる。橋本治「源氏供養」を読み始めるも、もっぱらゲーム。機内食のまずさに閉口。
閑散とした空港へ降り立つ。かつてのしつこいタクシーの客引きもない。大半の日本人はホテルないしは旅行会社の迎えが来ているにしろ。そもそもバックパッカーが見当たらない…
タクシーに乗って鼻腔をくすぐる甘い亜熱帯の空気に触れると、懐かしさで胸が熱くなる。同時に「何故ここに三年あまりも住んでいたのか?」の疑問が。カラベルに着いても頭を離れず、バー・サイゴン・サイゴンから夜のレ・ロイ、ドン・コイを眺めながらも。かつて「日常」であった「非日常」の存在に圧倒される。ビールを二本飲んで就寝。夜風が強く、薄着のMちゃんはお疲れ気味。
先は長い…
橋本 治
窯変 源氏物語〈1〉

見当たらない「主語」

「わからないところある?」
オーナーから頼まれて翻訳をしていると。
「だいたいはわかるけど、人間関係を教えてもらえる?」
ざっと説明を受けると訳文もやっと関係を保てるものに変身する。いくつか「主語」を補足するだけで。ベトナム語を日本語と同様に、その逆も然り。
書き手が主語なのに隠れてるから、書き手が読み手に伝えたいんだろうな、とは察するけれども。そうなるとやはり書き手と読み手の関係に帰着する。
関係に依存して書かれている以上、意味も変質しうる。中立な関係でいかに意味を損なわず翻訳をするか。
そうなると「主語」らしきものに姿を変えて、関係を組み直している自分がいる。もっとも辞書と訳文の照らし直しばかりで、「森を見て木を見ず」に陥ってしまう。自然と訳文が長くなったり。
意訳する裏技を使うよりは丁寧に訳してミスリード(誤読)の余地を無くす。決して国会議員やスポーツ選手のコメントにつく()にならないように。
あれは関係の補足ではなく歪曲に近く。テレビのテロップも似たようなものですね。余計な「主語」がしゃしゃり出て来てしまう。
自分らしい「主語」は謙虚で控え目に振る舞えないようで。
榊原 晃三, 天野 喜孝
巌窟王 少年少女世界名作の森〈15〉

やがて秋の訪れ

丸山 健二, 萩原 正美
夕庭
亜熱帯を思わせる空気を追い払う、心地よい冷たさを含んだ風が頬を撫でる。季節の切れ目のないサイゴンでは触れられなかった。日本に戻って長くなると必然的に「季節」を感じて、それがベトナムへ行く前の感じ方と微妙に異なっている、のもわかる。
遠く離れた今も、年に一回は東南アジアを訪れ。無慈悲に照り付ける灼熱の陽射し、或いは永遠に降り続きそうなスコールを浴びる。かつては「日常」であったものが今や「非日常」になりつつあることを自覚しつつ。
あと数日でサイゴンへ向かう故に感傷的になっているのでしょうか?
旅人として「非日常」のサイゴンを再訪する。そこで「日常」を暮らす友人と再会し、同時にかつての「日常」の面影を探す…
サイゴンとメールの往復を始めるとその距離が徐々に曖昧になっていき。「日常」と「非日常」の境界も茫漠と。相変わらず私は「」付けの概念主体で考えてばかりいるから、会えばサイゴンの友人はそれを指摘するでしょう。
「日常」と「非日常」がつかの間、逆転して秋の気配だけ日本に置き忘れて。

蝶のゆくえ

朝日新聞の書評を読んでから一年近く経って、橋本治「蝶のゆくえ」を読む。つい一時間前までホテルの手配で電話やメールをしていたご褒美?に。単純に人任せにしてはいけないと言う教訓ですが。
ここ数週間、まともに小説を読んでいない事実に気付いて。だから橋本治?選挙のニュースや映画に心奪われていただけですけど。
構造に関しては「ああでもなく、こうでもなく」で書いた三原則がそのまま通用します。
小説を読んで原則を追加すると、④切ないけれど、ユーモアがあって、ちょっぴり救いがある。
小説を読むとやたら「救い」を探す私は、ハリウッド的なハッピーエンドは嫌い。小説はあくまで小説なのだから、どんなに現実を模した凄惨な話であっても最後にふっと安らぎに似た救いがあればいいと思う。それは本文に書かれるべきものではなく、読者の想像の中に。
物語をつくる方法論はある程度確立されていても、「救い」に関しては教義的なものを含まないもの以外は難しい。そもそも日本人は宗教的な救いを求めているか怪しいですし。
救いのない橋本治的結論…
橋本 治
蝶のゆくえ

ライオンのしっぽの先には

TBSで久米宏を見ながら、ブログを書いていると、サイゴンのアルキストからメールが。デタムのCカフェで皆さんNHKの選挙特番を見ているそう。
自民党圧勝で喜んでいる友人はじめ、懐かしい友人たちの様子が伝わって来て。選挙の結果については、サイゴンで話題に挙げないのは賢明でしょう。
SちゃんMちゃんと共通しているようで繋がりの濃さが異なるライン。六年前、初めて会った場所からメールが来るのはサイゴンが呼んでいるのかも。
サイゴンで記憶にあるのは参議院選挙で自民党が大敗した時、Cカフェのオーナーとみやび亭でラーメンを食べながら読んだ新聞で苦悩の表情を浮かべた橋本首相。今回の岡田民主党代表は惨敗の責任を負い過ぎて表情そのものを喪失。小沢一郎が公示前にテレビに出演して話していた内容を鑑みれば想定内。

政治家の仮面を被った橋本龍太郎の顔には表情がなかった。岡田民主党代表はその仮面を被るのを拒み、小泉首相との闘いに敗れ、茫然自失する。小泉首相は表情豊かでそれが「わかりやすさ」に直結する意見もあるけれども、感情に直結していない表情は「わかりやすさ」と矛盾するような。だから大勝は怖い…

C.S.ルイス, 瀬田 貞二, C.S. Lewis
ライオンと魔女 ナルニア国ものがたり(1)

リアルであること

角川エンタテインメント
25時 スペシャル・エディション
朝方の5時まで見た映画はスパイクリーの「25時」。24時間後に収監が決まった麻薬の売人の主人公の幼馴染二人が七年後の対応を巡って討論をする、窓の外にはグランドゼロの復旧現場が見下ろせる。。主人公は残された時間をどのように清算していくのか?親子、友情、愛情、仕事、、、
自民党の圧勝が報じられる今、私はあまり多くの語るべき言葉をもちません。「正しいことをする」とか「まともにやれよ」とか言えたらいいのに、と思うだけです。結果は「リアル」である以上弁明なり敗北の弁はそれ以上の意味はなく。「語られるべき言葉」ではありますが「伝えられるべき言葉」ではないのです。勝利の弁に関しても同じ意見であることを重ねて言及します。もちろんそこに「責任」なり「義務」を忘れて欲しくない前提の上で。行動こそが「リアル」なのですから。
現実を前にして考えるのは「リアル」に迫る「公明党離脱」「イラク派兵の延長」の懸念です。政治においては良くも悪くも「市民の賢明な視点」が存在すべきで「抑止力」足りえると考えています。それが「少数意見の尊重」とは言いません。ただ今回の選挙に関しては最低限の「抑止力」すら働かない結果に終わってしまった現実を切ない、と思います。これ以上の言葉は見つからない。
収監を前に主人公は父親の車に乗せられて拘置所へ向かう。その間際、親友と殴り合い、ほとんど眠れないままに。助手席に乗った主人公は束の間、まどろみ、夢を見る。24時間にプラスされた僅かな時間。その時間がこれからの日本にある、はず。それは本来流れるべき「リアル」な時間である、と信じたい。真実は囁きに近い声と共にやってくる。寝返りを打つ耳たぶの傍で。

まともにやれよ。

今はなき「噂の眞相」にお詫び記事ばかり並べるたページがあり。新聞・雑誌から転載した大企業の謝罪。
「パリ、テキサス」に続いて「Do the right thing.」でも記憶違いが発覚。パルムドールを争ったの相手はソダバーグの「セックスと嘘とビデオテープ」…字幕どおり「まともにやれよ」です。
言い訳しようがありませんね。スパイク・リーの話は「映画作家は語る」に基づいたはずが、確認を怠り自らの無知を露呈する結果に。恣意的な題材選びは避けるべきなのでしょう。
久々のベトナム行きに浮ついた心を戒めつつ。昔ほど映画に愛を感じられなくなった自分を恥じる。ホワイトハウス前にの「SHAME」が連想される。あれを黙殺出来るブッシュは凄い…遺憾という言葉は辞書にあっても理解は…
瑣末なミスなら見逃して、は主義に反するので誠意で応じたい。訂正してきちんと説明をする。マニフェストに通ずるものがあるかも。もっとも比較すると争点がぼやける曖昧さが見えてきて。
お店から徒歩5分圏内に立候補者の選挙事務所があるため、「最後のお願い」は熾烈を極め。三人の立候補者の声が入り乱れ、その度に窓の外を覗くお客さん。「まともにやれよ」は誰に投げ掛けても返ってくる言葉。
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
セックスと嘘とビデオテープ