青パパの無限増殖ver.187 -2ページ目

ランソム

僅かに開いた汽車の窓の隙間から、煤けた匂いと冷気が入り混じった風が吹き込んでくる。ハノイからの夜行列車でホーチミンへ向かう車中。切符売場で散々、販売係と揉めた後、旅の終焉を予感し沸き上がってくる疲労と不安。それを和らげてくれた初老の男性との会話。独学で覚えた拙いベトナム語を駆使して意思を伝え、アドレスを受け取る。
竹で編まれた背もたれに身体を預け、ここから一日半の道程に思いを馳せ。異国を漂う根無し草の危うさなど気にも留めず。マキナニーの「ランソム」を英語で追う。時折、流れ込む煙と粉塵に咳込み、どうにも締まりのない窓に諦めもし。活字の波と、夢の海を行き来する。
二日目の夕方、終点のホーチミンが近付き、乗客も減り、緊張も気詰まりも薄れかけ食事を取っていると。隣のこわもての男性が肩を叩き、戸惑う異邦人の表情をよそに破顔し、優しくぽつり。
「メリー・クリスマス」
肩と背中の痺れと微かな痛みを忘れさせる声に安堵し同じ言葉を返す、八年前の冬。
ティム・バートン, 永田 ミミ子
ティム・バートンナイトメアー・ビフォア・クリスマス

ストロベリームースに浮かぶ星

三十路ーズヘようこそ。
サイゴンで居酒屋を経営していたAちゃんの誕生日を祝って、高校時代の部活の友達夫婦、婚約者の友人、戸塚の飲み友達の面々が集う週末。
プロデュース精神旺盛なAちゃんの周りには自然と人が集まり、用意した料理も笑顔と感謝と賛辞に消えていく。食欲よりは飲み!ドンペリ+α、麦酒、ベトナム焼酎が喉を抜け、心地よい酩酊へ誘う。
一座の人気者、Aちゃんの友人の息子さんが帰途に着いた後、ケーキが登場。カナールに注文時のイメージは反転した
鳥山 明
ドラゴンボール (巻5)

ベトナムで知り合った婚約者共々カメラに収まるAちゃんの姿に安堵。切り分けられた甘いものは遠慮してオーナーに手渡し。年齢分の蝋燭に蹂躙されたストロベリームースの艶やかな海、浮かぶチョコレートの黄色い星。

青い瞳のジュニー

クイーン
クイーン/グレイテスト・カラオケ・ヒッツ

頬を刺す冷気の中、しんと静まり返り、空車のタクシーのヘッドライトが稀に行き交う旧国道一号線を越え、戸塚小学校へ降りる坂の中程に。こじんまりとしたスナック「ジュニー」の看板の光が足元を照らす。先週末、店を早じまいし足を運んだ際、オーナー始め常連のNさん、Aちゃん、Kちゃん、Sちゃんとシャンパン、焼酎を飲み。テンションの上がらないまま、カラオケに雪崩れこんだ果てに限りなく透明に近いブルーを拝む羽目に…
言い出しっぺは誰だったのか?カウンターのMさんに尋ね確認しても、記憶には深く鋭利な断層が出来てい。漠然と頷くしかない。提案しながらカラオケで一曲も歌わず夢の世界に落ちる因果。
終電に乗り遅れた言い出しっぺを待ちながら、オーナーのかつての雇い主であるSさんと言葉を交わし、バンコク→サイゴン→戸塚へと繋がる見えない絹糸の煌めきを掠め取ろうと。手に持ったロックグラスの向こうには、つぶらな瞳を潤ませるジュニーのポラロイド。

運命の日、或いは。

ジューダス・プリースト
運命の翼

深夜に近い横浜駅で組み合わせの見出しが踊る号外をサイゴンの弟分S君と受け取ったのは、日韓ワールドカップの抽選会直後。夢の中で会えずにカラベルホテルの枕を濡らし?た、あの。みなとみらいで観覧車に乗り、クイーンズスクエアで食事。横浜駅に戻り、相鉄線でさがみ野駅付近のタイスナックでカウンターを並べつつグラスを重ね、戸塚へ。サイゴンで知り合い毎晩のように飲み、バンコクに行ってさえその飲んだくれのスタイルを崩さない… 週末、閉店後に乾杯ビール、焼酎ロック程度で済ます今が正常なのか。九月に再会を果たした当のS君は旧正月にサイゴンへ舞い戻り。出戻り大本命の兄貴分は相も変わらず戸塚の「ベトナム」に。歳月の過ぎ行く早さに驚き、運命の奇妙さ、見えない偶然の積み重ねに呻吟する。吐く息の白さはあの四年前と同じ。


ブック・ウェーブ

朝、風に弄ばれ入口に敷き詰められた落ち葉を踏み越え、乾いた靴音と共に階段を昇り、鍵を開ける間際、ポストを覗くとメール便が。
昭文社より「たべあるきnavi横浜・鎌倉・湘南」の見本が届けられ。前の版とは異なり、料理のジャンル別ではなく、エリア別に構成されており。奥の索引を引いて「港南区・金沢区エリア」の末尾に載っているのを確認。300店のうちの一つである前にお客さんにとって大切な店の一つでありたい、と願い。かじかんだ指先にニベアをすり込み、そっとひもとく。

昭文社編集部
たべあるきnavi横浜―鎌倉・湘南

シネフィルになりそこねた男

朝から降り続く氷雨をくぐり抜け、約束の「ランド・オブ・プレンティ」を観に有楽町へ。朝方までカラオケに興じていた寝不足と二日酔いに支配された身体に鞭打って。
映画館に再び足を運ぶようになったのはここ半年くらいのこと。意外と映画の嗜好に変化は見られない。保守的なのか青臭い懐古趣味と言おうか。
ラナと伯父が降り立つL.A郊外の砂漠に「パリ、テキサス」を重ねたり、超私的自衛隊バンでの旅に「都会のアリス」を思い浮かべたり。高層ビルを見上げるシーンから始まると、俯瞰のシーンが多い「ベルリン天使の詩」や「時の翼に乗って」とは異なり、アメリカには天使がいないのだ、と慨嘆し。音楽の挿入の巧妙さに舌を巻き。加工された映像、自然のまなざしの差異に戸惑い。見えない声に耳を傾ける存在を見出だし、一人喜びに浸る。
隣の席のMちゃんにはお節介な蘊蓄だったかも。映画から「意味」を汲み取ろうとする病に憑かれた愚かな男の戯言と聞き流して。

東北新社
ヴィム・ヴェンダース コレクション

天使のいない国

「gift」
ベトナム戦争の後遺症に苦しむ伯父の告白にラナはそう答えます。戦時中ヘリコプターの墜落事故で生き残った二人の内の一人である彼が、夜な夜な「死者の声」を聞き、その上に成り立つ「平和」の中、生き延びているのは「不運」だと嘆いた後に。
遠く離れた中東の地より唯一の肉親である伯父に母親から託された手紙を渡すため、「豊かな国」アメリカへ舞い降りた二十歳のラナは。ホームレス支援団体を手伝っている最中、偶然の再会を果たします。頑なに自分の殻に閉じ込める伯父とは対照的な彼女は天真爛漫で出会う人、皆に笑顔と安らぎを与えます。
病に侵された妹の手紙を読み、姪の願いを叶えるためにLAからNYへ。ヴェンダースのロードムービーは「不在」を埋めるコミュニケーションがテーマで。一貫し繰り返される。9.11後のNYでもうひとつの声に耳をすまそうと。天使は舞い降りて。
「gift」はもたらされた「幸運」。

she-shell, 藤井麻輝, レナード・コーエン
reep

私的師走

「想定内(外)」は「小泉劇場」と共に流行語大賞。ブログで使ったそれらの言葉が善くも悪くもこの国のこの年を象徴している訳で。この年が終わる前に総括する意味でもブログを読み直さないといけません。
定期的な更新を怠った「サイゴン再訪以後」については言い訳のしようもありません。ただ思いつくままに題材を並べ、組み合わせる以外の様式で書いていくのも来年への課題ですし。柔らかな「制約」にすら屈しそうな状態で続けるよりは、新たな創造的な「制約」を愉しむ余裕が欲しい。
口をついて出るのが反省と自戒ばかりでは「救い」がない。中途半端な抽象論に終始しては曖昧に難解なだけで。
年末に忸怩たる思いをしない伏線として脈絡もないブログを。怠惰にかまけた空白を埋めるのが、「対立構図の明確さ」「多数派の排除」「新たな少数派の出現」を内包する流行語へのアンチテーゼであるように。

小林 信彦
現代“死語”ノート〈2〉1977‐1999

ドゥドゥサンのつくりかた

日立COM労働組合の行事の一環で料理教室を行いました。
約束をしてから丸々十ヶ月経ってしまいましたが。オーナーが中心になってつつがなく、四品。オーソドックスに生春巻、お好み焼き、鶏肉のフォー、緑豆のぜんざい。参照のレシピを添えて。本場の雰囲気が少しでも味わえ、これを機会に東南アジアに関心を持っていただければ喜びの極みです。参加して下さった皆さん、日立COM労働組合には貴重な時間をありがとうございました。

池澤 夏樹, 垂見 健吾
神々の食

石畳に降り注ぐ柔らかな光

記憶の曖昧さ、思い込みの危うさ、刷り込みの恐ろしさについて、繰り返し言及するのは。日々、脳細胞の活性化、色褪せ、細部が抜け落ちるアルバムへの危惧、緩やかな後退への対抗意識から。
「何故、恋人同士は時に童心に帰り、日常を振り返り、哲学的に語らうのか。ウィーンを舞台に人生の旅路半ばの二人は、心の距離を縮めていく。十年経って改めて見て「青春」映画そのものなのだと気づいて切ない思いに浸る。」
十年ぶりに見た「ビフォアサンライズ」のレビューは明瞭な証拠として。
ここで真ん中から削除の線を引き、意味を変えようと試みれば。大江健三郎「懐かしい年への手紙」の傲慢さ不遜さ。記憶は常に再生し得る稀有な意識の流れ。

大江 健三郎
懐かしい年への手紙